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dis-

日本酒はとても向精神性が高くて、他の向精神性が高いもの同様、コンディションの良いときを選んで愉しむか、コンディションの悪いときを狙って苦しむ=愉しむか、どちらかであり、晩酌に日本酒、というのは私には不可能だと思い続けてきたのだが、此頃つとめて飯を喰いながら日本酒を呑むようにしている。

あー、酔ったー、という感覚がないのである。
酩酊している己をよそにする、というのが酩酊だと思っているが、その意味で、酩酊できない。
ワインのように鮮やかに離人できれば、夢想に浸ることも、夢想と現実のあわいを曖昧にして涎を垂らすこともできるし、焼酎のように内攻できれば、閑かにソリティアで夜を明かすこともできるが、日本酒では、そうはいかない。
酩酊を抱えて蹲る私の膝や尻骨が、地に接するのだ。
肉を欲しくもならない。

素面でいることの馬鹿馬鹿しさと、素面でいないことの阿呆らしさが、次第に同義を帯びてくる。
これはとても危険なことで、嘔吐するまで呑み、宿酔いを常態とすることしか、思い浮かばず、思い浮かぶ層も浅薄な一層だけで、考える、という能動を、これまで一度でもしてきたか、という自問さえ、曖昧だ。

こうした夜には金で身体を売ることを愉しんでいる女の子とセックスするか、妻子持ちと爛れた関係になる自分に酔い、同時に醒めることのできる女の子とセックスするかしかないのだが、冷たい水で髭を剃って、煙草を鎖続している。
サゾク、という言葉を、創ったふりをしている。


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◆映画

「BABEL」アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ 2006年

アモーレス・ペロス一作で私はイニャリトゥ信者となり、21グラムに対しては内的な批判をしつつ、それでも帰依していた。
人を描く、という、基本中の基本であるのにほとんど全ての映画も小説も詩も漫画も絵画も成し得ていないことを、この人は己を踏襲することに執心することで、続けている。
本作も同様、なのだが、どうにも気持が悪い。
繋がっていないのだ。
菊地凛子が演じる聾唖の少女だけが。

蛙が空から降ることで繋がっていた映画があった。
人類が進化することで繋がった小説があった。
そうした力技の繋ぎ方をしてくれなければ、私は、気持が悪いのだ。
ディスコミュニケーションは、所与であり、テーマとは、ならない。


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アブサン酒とリタリンのカクテルで完璧に離人する、という短編を書いたことがあるが、手元にない。
原発労働者と売られてきた女が廃墟で交わり、螺旋階段が空から落ちてくる、という短編を書いたことがあるが、手元にない。
手元にあるのは、粗忽長屋を新大久保のラブホテルにリプレースして、熊公に経血を浴びせた一篇だけだ。

人に紹介するために読み返した盟友の文章が、面白くて狂いそうだ。
死ねねえんだな。俺。


  1. 2008/01/22(火) 00:04:39|
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