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無灯艦隊

一ぴきの蝶に襲われている時間

ぎゃあぎゃあと舌毟りあう棕櫚の家

階段で四、五日迷う春の寺

――西川徹郎


 


毎日見る、ということは、記憶よりも忘却に近い。
忘却の清浄さの中から、生涯の反復が淡く浮かんで、棄てられる、往生とはこれに近いだろうか、とどこかで読んだが、蓋し然らん、私は往生を生きている、少なくともそのつもりで、いまここに座っている。


池袋のある風俗店の出勤情報を、毎日見ていた。
それは止すことも止さないこともできた。
私は反復に委ねた。
私も、そこに勤める女も、追ってもいなければ、追われてもいなかった。
互いに逃げたつもりでいたのかもしれない。
私の反復が対称点となって逃げられずに追えずにいると思っていたのは、私ばかりで、寝入りに似た傾斜に沿って(と思っているのも私ばかりだが)、女の名は、消えた。


身の丈、という言葉にアナフィラキシーにも似た反発を覚えるくせに、身の丈に合った滅びを、私はその女に求めていたのかもしれない、と頬杖をついて思うことのできる土曜の午後だが、アルコールが足りない。
抽斗にも眠剤しかない。
眠りたくはないのだ。


ここ数日で記憶に残っているのは、冷蔵庫と壁の間に挟まって動けなくなった次男を助けたときの、重さと熱である。
次男は清澄で、底意地の悪そうな、美しい顔をしている。
焦りに泣き出しながらも、彼はどこかで、愉しんでいた。
だから私も、愉しかった。


私は家の中で迷う。
私には迷える場所が必要なのだろう。
西川徹郎を読むと、迷いの家に、帰ってこれる。


 


肉体をゆめゆめ蓮の葉が犯す

眼ニ刺サッタ山ノ秋津ヲ抜イテ下サイ

二階まで迷路は続く春の家


 


全句集、ほしいな。。

  1. 2007/07/21(土) 16:25:04|
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そうして最後の曲がり角を

すでに立ち止っているのに、歩きやめようかなと思いながら、信じることの、あまりに平坦な床を見下ろすのだ
  1. 2007/09/25(火) 21:40:34 |
  2. 坂のある非風景







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