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layer

医者に処方された薬を服んでもほとんど快復しないことで、少しく焦りはじめている。
愈々喫煙をやめてしまわなければいけないのだろうか、と考えながら喫煙している。


夢の話、映画の話、病気の話ほど聞かされてつまらないものはない、ということは会話に意識的な人であれば当然思うことであろうが、私は子供じみた確信犯であるので、夢や映画や病気の話に、小説や自慰や音楽や性交の話を加えて、この場所を埋めていく。


 


フランソワ・オゾン『スイミング・プール』とティム・バートン『ビッグ・フィッシュ』を続けて観た。


近所のビデオ屋で恣意的に選んだのだったが、現実と非現実との扱い方のうえで、非常に対照的な二本だった。
ティム・バートンが「現実」あるいは「物語」をバックグラウンドに多彩なレイヤ(各層のつくりには隙がない。悪意が足りないので退屈だが)を重ねる職人であるのに対して、オゾンは何もバックグラウンドとしないでレイヤをシャッフルしていく。


『ビッグ・フィッシュ』では、父親の話の何が真実であったか、それはもちろん息子の視座から見た真実で構わないのだが、あるいは真実であろうがなかろうがそれが息子にどう影響したか(父の最期のシーンを息子が物語るシーンに結晶する)、ということが物語の軸として存在していることが前提になっている。
映画の、ひいてはハリウッド映画のシナリオとしての、手本のような出来だった。


『スイミング・プール』では、どこからどこまでが女作家の書いた小説の内部なのか、という、本来軸となるべきところが、意図的に明示されていない。
(ラストシーンでそれは明かされる、というか覆されるのだが、それにしても観た者がどう判断するかに任されている)
全てがレイヤにもバックグラウンドにもなりうるのだ。


私はオゾンのやり方に安らぎを、ティム・バートンのやり方に疲労を覚える。
物語の更に奥に、メタ・物語とでもいうべきメタ・レイヤがあるべきだと、私は思っている。



それにしても、リュディヴィーヌ・サニエの肢体の美しいこと。
見事な乳房には感動さえ覚えた。
シャーロット・ランプリングは、『地獄に堕ちた勇者ども』『未来惑星ザルドス』『愛の嵐』で受けた印象が今もそのまんま。妖怪の一種だ。
正直、陰毛は拝みたくなかった。

  1. 2007/01/22(月) 13:19:09|
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