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cold cottage cheese thighs

5000円分の図書カードを頂いたので(友人の結婚パーティーで当たったのだ)、渋谷で空いた2時間、本を探していた。
これも買えるあれも買えるとうろついているうちに、恣意に本を選ぶこと自体に違和を覚え、違和を憶えながら買う快楽への欲望を持て余した。
50万円あっても一向に満たされない欲を持っている。
500円で忘れえぬ本を選ぶことができることは知っている。
5000円で何を買ったらいいのか、わからない。


少し前に、妊娠した女性に3000円分の図書カードを贈ったことを思い出した。
出掛けられなくて暇なんじゃん? 雑誌でも買ってよ、と渡したのだった。
私は彼女の膣が見たいという欲を持っていた。
彼女は迷わずに雑誌を買えただろうか。
彼女の膣が載っている雑誌が5000円で売っていないだろうか。


モーリス・ブランショ『アミナダブ』を買うかしばらく迷っているうちに、身体がたまらなく疲れてしまって、結局は古井由吉『白暗淵』、西鶴『好色一代男』の吉行訳、J・G・バラード『結晶世界』『クラッシュ』を買った。
本そのものは持っていないが、本に書かれていることを知っているものだけを選んだ。


余った数百円分に小銭を足して、子供に『てれびくん』を買った。
帰って付録を組み立てながら眠ってしまい、冷たい太ももを枕にして眠っている夢を見た。
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  1. 2009/05/30(土) 23:41:30|
  2. diario
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あなた方の心の中に黒く色どられていない処があったらすぐ電話をして下さい

忘れないいつまでも いまこの時を
帰らない 帰るもんか こんな所にゃ
君が死ぬ そして明日がある

―― 頭脳警察 『破滅への招待』



 

 

頭蓋骨が圧されて、壊れる夢を見ている。
圧するのが女の腰の重さであればいい。
はじめから私は、息をしていない。


薄い骨に包まれているのはアルコールと眠りだ。
私は眠っていて、沈黙していることを知っていて、沈黙を呟いている。


例えばここ数夜は、堀口奈津美と西野翔が本当の姉妹なのかどうか、ということにだけ関心があった。
関心があったわりには、彼女達の身体から遺伝的類似を眼を凝らして探したわけでもないし、幼い日の彼女達の姿を想像していたわけでもない。
気が付くと、フューズが切れたように眠っている。
フューズが切れたように眠る、と言葉にして以来、電車の中で立ったまま頽れ、膝をつくようになった。


寝室へ入ると、長男が幼児のように眠っていて、次男が聖者のように眠っている。
長男には虫歯が一本もなく、次男には十二本ある。


ドラマ『NIP/TUCK』の第4シーズンを見ている。
クリスチャン・トロイ、というタイトルで曲を作ろう、と思った。


Hyd-Lageの準備、思い入れのあるAV女優のリスト化は、「あ」からはじめて漸く「と」に差しかかった。
まだ280人だ。

  1. 2009/05/29(金) 05:31:27|
  2. diario
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Rouge Magic

いったい芸術はどこで消費されるのか。見かけの性的不能を治癒する薬となって、芸術作品が次々に生産され、消費されなければ生きられない商品となってしまったのはいったいいつなのか。そういったまじめな問いの代りに、「傷を温存し痛みだけを逸らすかぎり、文学や音楽は不滅である」そう言ってみたい時代である。

ひとは立ち去っても書物は立ち去らない --- 坂のある非風景




 

 


清志郎が死んで、誰もが彼の「唄の良さ」を語り、音楽家としての技術の高さについて語らないのは、皆「良い唄」であれば技術などどうだっていいと思っているからではないか。
清志郎の唄が素晴らしいのは、清志郎が傑出したヴォーカル技術と、卓越した楽器演奏能力を持った、一流の職業ミュージシャンだったからに他ならない。
などと、それこそどうでもいいことを思いながら、やはり私も「スローバラード」をリピートして過ごした。
ただ悲しくて、慌てていた。


カーラジオからスローバラード
夜露が窓を包んで
悪い予感のかけらもないさ

僕ら夢を見たのさ
とってもよく似た夢を

RCサクセション 『スローバラード』



 

 

 




悪い予感のかけらもないわけがないのだ。
何故、と訊かれたら、「かけらもないさ」に乗るコードがC#7だから、とだけ答えたい。
「似た夢」が決して「同じ夢」ではないからこそ、この唄が特別なのだ。
悪い予感が冷たく蟠る上に立って、悪い予感のかけらもないと唄える男こそがロックスターである。


清志郎は若い頃ギターを抱いて寝ていた、と姉から聞いて、15歳か16歳の私は実際に数ヶ月ベースを抱いて寝ていた。
堅くて、冷たくて、寝相の悪さでネックが反らないか心配で、夢を見て眠れなかった。
だがそうすることで、眼を覚ましてから夢を見ることができた。
よく似た夢を見た何人かの女の子とすれ違った。


清志郎がいなくなって、痛みが顕わになった。
だから、痛くて泣いている。
傷は、清志郎がいようがいまいが、ある。
私が音楽と文学でやりたかったのは、傷を傷のまま唄うこと、だけである。

  1. 2009/05/09(土) 22:49:32|
  2. diario
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soy


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この夜、凶なきか。
日の暮れに鳥の叫ぶ、数声殷きあり。
深更に魘さるるか。
あやふきことあるか。

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