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El gran Masturbador

世界はがらくたの中に横たわり
かつてはとても愛していたのに
今 僕等にとって死神はもはや
それほど恐ろしくはないさ

さようなら世界夫人よ さあまた
若くつやつやと身を飾れ
僕等は君の泣き声と君の笑い声には
もう飽きた

――頭脳警察『さようなら世界夫人よ』
(原典:ヘルマン・ヘッセ/植村敏夫 訳)


慈姑さんはいつでも自慰のことしか書かないんですね、と、最近若い女性(という甘美で憂鬱で大雑把な括りが私は、大好きだ)からよく云われるので、じゃあ潔く、自慰のことを。


私にとって自慰とは、喫煙と同義である。
疲労が一定量に達したとき、疲労が持続しているときに間歇があったとき、集中しているときの無意識に、あるいは一定時間何もしていなく意識が持続しているときに、あるいは欠伸のついでに、あるいは極度の緊張時に無意識に、私は自慰を欲する。


自慰は射精を伴うが、射精は必ずしも法悦を伴わない。
法悦に意味を見出していれば、セックスを買うことが、これほど好きではないだろう。


喫煙=自慰が、私をこのフェイズに(フェイズとかマターとかスキームとかアライアンスとかクリンチとかソリューションとか、現在飯の糧に従事しているIT業界の用語が、私の生活に、すごく馴染む)、繋駕するうえで不可欠になっている。
何ら、危惧がない。
おそらく、由々しき事態だ。
そう自覚していることが、絶望的に、おかしい。
あはは。


女の子とセックスしてから、嘔吐したい。
そうして、鏡を見たい。

 

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  1. 2008/04/25(金) 00:02:28|
  2. diario
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

Estamos Perdiendo

将来僧になって結婚してほしい
毎晩寝具で遊戯するだけ
ピザ屋の彼女になってみたい
そしてらベンジー あたしをグレッチで殴って
――椎名林檎『丸の内サディスティック』



畢竟私は意味の奴隷である。
畢竟という言葉を平気で使うからそうなんだ、と女子中学生向け雑誌の編集長に云われたことがあった。
そして私は価値の奴隷である。
畢竟、私は自意識の、私奴婢である。


先週水曜はabout tessを観に歌舞伎町へ。
ギター×2、ベース×2、ドラム×2の編成で、音だけが鳴る。
ミニマルに、フィジカルに、ハードコアに、フラジャイルに。
その日はギター×2、ベース×2、ドラム×3、となっていて、音圧で失禁しそうになる。
失禁しそうになること、以外を求めて、ライブを観ない。
ディストーションが内臓に後遺症を遺しそうで、うっとりとして、立ったまま少し眠った。


日曜は渋谷でAizu Thunders with The Bellbottom Gangstars
会津のギターには、きっとこの先もドメスティックなフィルタがかかるのだろうが、ロックスターであることへの、まったく同義で職業的かつ遊び人であることへのアリバイが、煌いていることだけはわかる。


今日話題になっていた死刑判決について少し。

罰には、罪の重さに見合う罰を与えるという応報の側面と、類似した罪の再発を抑止する目的の側面があり、両者の折衷である法とは、本来的に不確実で、不純で、ヴァーチャルである。
ヴァーチャルによって裁き裁かれ、生死を握られているのが我々だ。

坂のある非風景『ヴァーチャル効果』にTB。M氏が同じ意見だと云っているわけではありません)

再発抑止の目的で死刑に処することこそヴァーチャルのリアルさである。
では、応報で死刑に処すことで罪が贖われるかといえば、決してそうはならない。
殺した罪を贖うには、生き返らせなければならない。
それは無論、犯人の妄言にあった「復活の儀式」によって成されるものではない。
死刑であろうと無期刑であろうと、罰によって罪は、贖いようがないのだ。

贖いようがないから死刑に処すのは間違っている、と云っているのではない。
法がなくても罪はある、と云いたいのだ。
罪を裏付けるのは、憎しみで充分だと私は思う。
よって遺された夫が犯人を憎み、その死を望み続けている以上、犯人は死ななければならない。
その方法が死刑である必要もない。
犯人に更正の可能性があるかどうか、悔い改めているかどうかを考えることにも何ら意味はない。
人は法ではなく人に殺されるべきであり、人が人を殺さずに済むためは、罰ではなく、形而上学的な変化が必要だ。
その変化の鍵を握っているのは、分子生物学や量子力学かもしれないし、芸術かもしれない。
わからないから、私はいつも憂鬱だ。


椎名林檎の凄さは、ヴァーチャルのリアルさを唄うことでヴァーチャルに還元している残酷さだと、素面でふと思った。

  1. 2008/04/23(水) 00:16:30|
  2. diario
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  4. | コメント:0

Anna Mouglalis

どんなに愛し合っても
どんなに憎しみあっても
それほど愛しているわけでも
それほど憎んでいるわけでもない
君の本当の姿はそうじゃない永遠に
僕の本当の姿はこうじゃない永遠に

昨日は一人でエロ本買いに行きました
マニアクラブを本屋で2冊買いました

――コスモス「マニクラ」



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アナ・ムグラリスの夢を、数夜続けてみている。

15年ぶりにショーペンハウアーを読み返して、俺は興奮しないから自殺しないんだな、と見遣る風景には、薄い闇にネオンのような。

タイで撮られた、若い女の人の大便の写真を見て、少し笑った。

2枚組の『頭脳警察LIVE』を繰り返し聴いている。
「マラブンタ・バレー」の前奏、ギターのインプロヴィゼーションが私の与件で、「あばよ東京」の後奏、12/8拍子が無様にずれてしまうのが私の意志だ。

私の表層は大麻と芋焼酎で縮緬状になっていて、此頃よく考えるのは、肛門性交は変態のすることだ、ということと、私は毛が生えていない女性器が大好きなのだ、ということで、思い出す貌は、アナ・ムグラリス、あるいはメッチェン・アミック。

『追悼のざわめき』を基準とするほど、私は凡庸だ。

『キンスキー 我が最大の敵』を誕生日に買ってもらった。

高田馬場のマンションの押入に、私は果たしてあの時潜んでいたのか。
日暮れの大久保で、追った背中は何色だった。
池袋のシャワーカーテンは群青、だったか。
代わりに抱いた女の背骨の節を、数えていたか。

Bauhausが、おそらく探していた音楽なのだが、Buck-Tickのライブラリを、コンプリートした。
小池桂一『ウルトラヘブン』を再読、再々読。

中村中『汚れた下着』は本当にいい唄だと思いながら、煙草を2本、両手で吸う。

CAKEについて書いたか。
コロッケのショーが素晴らしかったことについては。
沙村広明『ブラッドハーレーの馬車』については。
シュヴァンクマイエルの新作については。
大阪の明け方に見た悪夢と、三重の津で見た白昼夢のことは――

漸く、戻ってきている。
お久しぶり。

  1. 2008/04/15(火) 02:12:46|
  2. diario
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  4. | コメント:2







soy


Aqui esta:
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Me llamo:
慈姑(クワイ)

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この夜、凶なきか。
日の暮れに鳥の叫ぶ、数声殷きあり。
深更に魘さるるか。
あやふきことあるか。

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