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しばらく外で自慰をしていない。

駅であれ百貨店であれオフィスであれ、かつて私はいたるところで自慰をしていて、舗道もフロアもデスクも、射精と射精との間のモラトリアムであり、蟀谷がいつもいらいらと震えていた。
疼きによってそうしていたには違いないのだが、獣欲に突き動かされていた、というわけではない。
射精のあとには、初めて視力を矯正した瞬間の感動が訪れる。
眼を水のように光が満たして、溢れたあとの清澄さに、潤い、息を吐く。
その瞬間だけが欲しくて繰り返していた。
眼が濁るのが耐えがたかった。

つまるところ私は射精に中毒していて、それがいつの間にか、平気でいられるようになったことに、居心地の悪さを感じている。
何かが萎縮したか、飽和したか、凝固したか、腐敗したか。
破裂だけはしていないことを知っているので、具合が悪い。

セックスと自慰は射精において全く差異はなく、セックスが他者との交わりだというのは、それが好き合う相手であろうと、大間違いではないか、とぼんやりと考えていた。
唯一他者と交わるにはいわゆる「愛」が必要であり、それは私には無縁である、というのが、どういうわけか私の所与だ。
だから、破滅を司る、という意味のみにおいてセックスに憧れる。
子供の頃、「性奴隷がほしい」と切に願っていたが、社会性も言語も(その二つは、私においては同義ではない)それなりに得ても、何も変わっていない。
私の種から産まれた子らの存在は私の思惟の表層をレリーフするが、それを私は指でなぞろうとはしない。
己の麻痺を受容することにかけては、私は女神のようだ。
私はいつでも深く眠ることができる。

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最近嬉しかったのは、「坂のある非風景」のfavoriteに入れていただいたことだ。
Mさんは私をわかってくれている、などと云うつもりは毛頭ない。
病的
、と書いていただいたことが、ただ嬉しかった。

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安達哲「お天気お姉さん」を数年ぶりに買い直した。

何てドラマティックなんだろう。
以前通っていた文学学校にて、出海溪也という詩人の講演があって、詩はメタファではなくアレゴリーであるべきだ、といった内容だったのだが、これこそまさに、アレゴリー=寓話である。
仲代桂子は、偏在するのだ。



通勤途中に森巣博「神はダイスを遊ばない」を読む。

下品。
常打ち賭人、として生き残ってきた己を、負けの必定を語ることによって、フラジリティの衣を纏いながら正当化している。
こういう人は文化人めいた仕事を好むんだろうな、と思っていたら、案の定そういう著作も多いらしい。
そもそも確率の劣位で賭博をカテゴライズしている時点でうんざりだ。
底の浅い語彙にも苛立つ。
ただ、被虐のループから脱する麗人、という戯画を傍から描ける男は、この人ぐらいなのかもしれない。



若合春侑「蜉蝣」をブックオフで。

伊藤晴雨で一本書け、と云われたら誰でも思いつくような筋であり、特に結末は非常に残念だが、この人は決して男には書けず、女である己と戦っている女にも書けない「女」を書く。
旧漢字と旧仮名と、肛門と生傷を剥き出しにするやり方で、読者にフィルタをかけている(おそらくそんなつもりはないのだろうが)のも小気味いい。
本質的にエンタテイメント作家、という希少な人だと思う。

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ごく最近恣意に選んで読んだ上の三作には全て「被虐のループ」が登場する。
一度凌辱されると、それを知らぬ他者からもまた凌辱されてしまう、というものだ。
少し前に韓国で同じような事件があった。
こうした被害者は女性であることが多いから、報道は同情を集めようとし、それにより凌辱者が裁かれることに何の異論もないが、暴力の誘発性が高い個人、というのは確かに存在していて、それは男性であることもあるし、国家であることもある。
人間の正体、などと云ってしまえばあらゆる報道と同じく何も結ばないものになってしまうが、こうした不可思議さ以外に、何が創作の発火点となるのか、と思う。

環の奥にあるもの。
それは決して「闇」の抽象ではないはずだ。

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この日記は私が澱むためにあります。
なるべく、眼を澄ませて。

ご無沙汰してました。
お久しぶり。

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  1. 2007/11/12(月) 01:37:00|
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