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New No New Age Advanced Ambient Motor Music Machine

好きな女の子とトニー・ガトリフ「トランシルヴァニア」。
しばらくこちらの視点の置き所に迷う。
デラシネでエトランジェな日本人として安穏と観れない映画は貴重である。
流浪の宿命、という制作スタンスにガッジョディーロから通じてブレていないことも奇跡的だ。
今作でガトリフは主人公を、途中で切り替えた。
視点、に神経質な私が自然とそれを見逃したのは、女の情念と男の哀愁が、見紛うほどに似ていたからだ。
女が狂気のまま流れていき、笑顔を見せてくれるのは、男が決してそれと同化せずに、呼応した狂気を、包容し、流れへの重心を、体力で保っているからだ。それこそが男の哀愁である。
都市的な孤独など初めから存在しない世界における、絶対の情があった。
その底に痺れているのは、音楽である。
旋律と律動に還元されない、生の音楽があり、ダンスがあった。
オールアレンジのガトリフは、どうしても唯一無比な監督である。


次男の2歳の誕生日。
次男は目鼻のつくりが涼しく、手足が長く、兄と両親との関係性のを瞬時にマッピングし、そこで最も可愛がられる挙措に追従せず、常にシニカルに、欲を追う。
暴力とは何か、暴力と己とのパースペクティブ、ということ意外に、父が息子に教えられることはあるのだろうか、とふと思う。
父の優しさを学ぶことは、息子にはできない、と私は思う。
優しさに甘んじる男など、2歳だろうと4歳であろうと、腑抜けだ。
父は不気味で、暴力が恐ろしく、己の興味の先を行っていて、妖しい女と妖しい男と知遇で、母とよくセックスし、いつも、苛立っている。
私が父としてできることは、その像を演じることだけだ、と。


結婚数ヶ月前から、師の死と次男の誕生まで、およそ3年間の、7冊にわたる日記を見つけた。
最近、明日死ぬことを前提に、整理、をせねばならぬと思っているせいで、文学修行をしている時分に資料として重ねていたファイルに手をつけているうちに、紛れ込んでいるものを見つけた。
のめり込んだ女のこと、頻りに膚を合わせた女達のこと、妻のこと、文学への帰依について、友の芸術について、己の歴史について、己を好いてくれた女について、子について――
大学ノートにびっしりと記されてある。
川越から大久保へ越す際にそれ以前の記録は全て焼却したので、トータルすればだいたい50冊目以降の、日記である。
不如意と絶望と、縊らぬための遁辞の羅列である。
それの延長がブログとなり、これまで続いているが、ノートに記された私の文章は、ディスコミュニケーションにおいて、当然ながら純粋で、寒気がするほど、愛おしい言葉達だ。
取り返しの付かないこと、への畏れと、諦念を、しっかりと書いてある。
それを経て、私は今も生活しているのだ。
ブログ表現以降、一時期知遇だった東映の女性プロデューサーは、私の「肉体への憧憬・枯渇」に対して共感を抱いてくれたが、私は彼女とセックスしたくなかった。
ブログを発見してくれた女性占い師は大腸洗浄が趣味で、カウンセリングしてほしい意思を伝えると、「あなたの文章を読む限り、私から貴方へアドバイスできることはありません」と云っていたが、私は彼女とセックスしたかった。
ともあれ、書くことの真摯さという欺瞞、から私は逃げた。
ほんとうのこと、を物語る勇気がなく、嘘っぱちを並べるほど、生きることに執着がなかった。
そのまま、今夜に繋がっている。


New No New Age Advanced Ambient Motor Music Machine
次男に電動バイクを買ってやった。
なぜか祖父のことを思い出す。
放蕩の祖父は優秀であったがゆえに村を棄て、初代を名乗り、町へ出て、麗しい祖母を力ずくで手に入れ、国有地に勝手に自力で家を建てた。
よって私の本籍地は今も番外地である。
5人の子をもうけたが、祖母をないがしろに事業を始めては失敗し、酒に溺れ、暴力をよすがに生き延びた。
父の兄弟は祖父への呪詛を糧に育った。
祖父は私の誕生日には未明から市場へ出かけ、鯛を一尾買ってきてくれた。
生臭さと重さと鱗のエッジと、白身の甘さを覚えている。
私は父を否定することから歩き始めた。
現在子らは、私を慕い、畏れ、不可解に思っているだろう。


私は私が不可解である。
初代を名乗ること。
それだけはやらなければならない。
そう思っている。
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  1. 2007/09/16(日) 04:07:58|
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  4. | コメント:2







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深更に魘さるるか。
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