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mano fantasma

幽霊はいまここにいないが、明日どこかで会うかもしれない。
どこかにいても会わないかも知れないし、ここにいて見えないだけかもしれない。
どうあれ幽霊が見える人の前には、きっといるのだ。
信じる人に見えるわけではなかろうし、その逆でもないのだろう。
死とリンクさせることがそもそもナンセンスだと、私は思っている。
だが、「祟り」があるということについては、どうしてか全く疑っていない。
幽霊が気味悪いのは、その存在が不確かであるからではなく、祟られることに(加護も一種の祟りである)得心がいかないからだ。


実家の両親に送るための子供の写真を集めていたところ、端午の節句前後に撮った一枚に、奇妙なものを見つけた。
次男を抱いた妻の脇腹から、歪んだ拳のようなものが突き出ている。
拳は当時1歳半の次男の掌よりもひと回り小さく、腫れた足のように歪んだ膨みを帯び、短い指が肉を握りしめている。
拡大してみると、指にはちいさな爪があった。


長男が後ろに隠れていたかと思ったが、その一葉を撮ったのは私であり、その時長男が私の足許にいたのを覚えている。
そもそも後ろに隠れていたにしては、パースがおかしい。


非常に気味が悪いが、正体が何か、ということはどうでもよく、それがそこに見えていること、そのものが、興味深い。
と暢気にしていたら、妻が怖気づき、そういえばあの時あたし何かがいるんなら写ればいいのに、って思ったのよ、ほんとよ、などという。
そういうことを言い出すことこそ、怨念である。


異形のものが見える友人に連絡し、会うことにする。
妻もよく知っているその男の言葉だけが、祓いとなる。



興味ある方は一報ください。
結構すごいよ。



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  1. 2007/09/27(木) 01:48:13|
  2. diario
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un efecto mariposa

あの一言がなかったら、こう一言を添えることができたら、あの時駆けつけることができたなら、あの時殴りつけていれば、別れよう、と云えたら、別れたくない、と云えたら、と、魘されることが、ないわけではない。
だがそうした選択肢が刻々訪れようと、私を構成するエレメントにエフェクトはしないのではないか、という諦念を持っていて、それが果たして正しくても間違っていても、私には明日訪れる選択肢を、選ぶか、選ばずに委ねるかしかないのである。


何年か前に流行った映画「バタフライ・エフェクト」を深更に。
ギリギリまで編集を重ね、あの時間で一切の説明不足なしに、唯一の結末で(DVDボーナスの別エンディングは、案の定見なきゃよかったが)纏め上げたのはお見事。
運命によって転変する女の子はよく描けていると思ったのに対して、女の子の兄もまるで別人格になってしまうことには、致命的な手抜きを感じた。
チェーホフの「可愛い女」に描かれる、愛人が変わる毎に全く別のことを喋る女性こそ、可愛い女であると私が思っているせいでもあろうが、環境が変わることで友達の愛犬を焼き殺す少年が思いやり深い青年になるとは、どうにも信じられない(運命の転変で宗教と出会う、ことにしている一つのシナリオがあったが、それこそ手抜き以外の何物でもあるまい)。


だが、人が人を救う、ということの無理については、核心に触れていた。
人は偶然に人を救うことは出来る。
しかし必然に人を救おうと思ったら、ひと一人の命じゃ、とても足りない。
救う、を守る、としてもいい。
絶対に守りたい、と思ったら、まず己を消滅させることだ。
消滅しても、守れないことを、前提として。
それは彼女や家族の前からかもしれないし、この世からかもしれない。
愛し合う、ということが有り得ることだとしたら(私は、結局それを信じていない)、一緒に消滅できるのかもしれない。
「あなた」がいなくなっても、「私」に明日が来る。
その悲しみ以外は、センチメンタルだ。


日曜の午後は「坂のある非風景」というブログを読んで過ごした。
近所の子等の輪に入れずにしょんぼりと帰ってきた長男の、足を拭いた。
賭すことのほかにすべきことがないことがわかっていても、捨てるものの大きさに、血が凝る思いがする。そのままの気持で過ごしている。考えることを、耐えることで放棄している。


「THE BUTTERFLY EFFECT」をスペイン語にして(本来はEl Efecto Mariposaなのだろうが、"un"にするというエフェクトを、能動的に行った)この日記に冠するだけで、何かが変わるかもしれない。
何かが変わるかもしれない、と待っているには、臓腑がもたなくなってきた。
あなたは頭でばかり考える、と、何人の女性に云われようと、
私には考えることしか、できないのだ。
  1. 2007/09/24(月) 04:05:29|
  2. cine
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New No New Age Advanced Ambient Motor Music Machine

好きな女の子とトニー・ガトリフ「トランシルヴァニア」。
しばらくこちらの視点の置き所に迷う。
デラシネでエトランジェな日本人として安穏と観れない映画は貴重である。
流浪の宿命、という制作スタンスにガッジョディーロから通じてブレていないことも奇跡的だ。
今作でガトリフは主人公を、途中で切り替えた。
視点、に神経質な私が自然とそれを見逃したのは、女の情念と男の哀愁が、見紛うほどに似ていたからだ。
女が狂気のまま流れていき、笑顔を見せてくれるのは、男が決してそれと同化せずに、呼応した狂気を、包容し、流れへの重心を、体力で保っているからだ。それこそが男の哀愁である。
都市的な孤独など初めから存在しない世界における、絶対の情があった。
その底に痺れているのは、音楽である。
旋律と律動に還元されない、生の音楽があり、ダンスがあった。
オールアレンジのガトリフは、どうしても唯一無比な監督である。


次男の2歳の誕生日。
次男は目鼻のつくりが涼しく、手足が長く、兄と両親との関係性のを瞬時にマッピングし、そこで最も可愛がられる挙措に追従せず、常にシニカルに、欲を追う。
暴力とは何か、暴力と己とのパースペクティブ、ということ意外に、父が息子に教えられることはあるのだろうか、とふと思う。
父の優しさを学ぶことは、息子にはできない、と私は思う。
優しさに甘んじる男など、2歳だろうと4歳であろうと、腑抜けだ。
父は不気味で、暴力が恐ろしく、己の興味の先を行っていて、妖しい女と妖しい男と知遇で、母とよくセックスし、いつも、苛立っている。
私が父としてできることは、その像を演じることだけだ、と。


結婚数ヶ月前から、師の死と次男の誕生まで、およそ3年間の、7冊にわたる日記を見つけた。
最近、明日死ぬことを前提に、整理、をせねばならぬと思っているせいで、文学修行をしている時分に資料として重ねていたファイルに手をつけているうちに、紛れ込んでいるものを見つけた。
のめり込んだ女のこと、頻りに膚を合わせた女達のこと、妻のこと、文学への帰依について、友の芸術について、己の歴史について、己を好いてくれた女について、子について――
大学ノートにびっしりと記されてある。
川越から大久保へ越す際にそれ以前の記録は全て焼却したので、トータルすればだいたい50冊目以降の、日記である。
不如意と絶望と、縊らぬための遁辞の羅列である。
それの延長がブログとなり、これまで続いているが、ノートに記された私の文章は、ディスコミュニケーションにおいて、当然ながら純粋で、寒気がするほど、愛おしい言葉達だ。
取り返しの付かないこと、への畏れと、諦念を、しっかりと書いてある。
それを経て、私は今も生活しているのだ。
ブログ表現以降、一時期知遇だった東映の女性プロデューサーは、私の「肉体への憧憬・枯渇」に対して共感を抱いてくれたが、私は彼女とセックスしたくなかった。
ブログを発見してくれた女性占い師は大腸洗浄が趣味で、カウンセリングしてほしい意思を伝えると、「あなたの文章を読む限り、私から貴方へアドバイスできることはありません」と云っていたが、私は彼女とセックスしたかった。
ともあれ、書くことの真摯さという欺瞞、から私は逃げた。
ほんとうのこと、を物語る勇気がなく、嘘っぱちを並べるほど、生きることに執着がなかった。
そのまま、今夜に繋がっている。


New No New Age Advanced Ambient Motor Music Machine
次男に電動バイクを買ってやった。
なぜか祖父のことを思い出す。
放蕩の祖父は優秀であったがゆえに村を棄て、初代を名乗り、町へ出て、麗しい祖母を力ずくで手に入れ、国有地に勝手に自力で家を建てた。
よって私の本籍地は今も番外地である。
5人の子をもうけたが、祖母をないがしろに事業を始めては失敗し、酒に溺れ、暴力をよすがに生き延びた。
父の兄弟は祖父への呪詛を糧に育った。
祖父は私の誕生日には未明から市場へ出かけ、鯛を一尾買ってきてくれた。
生臭さと重さと鱗のエッジと、白身の甘さを覚えている。
私は父を否定することから歩き始めた。
現在子らは、私を慕い、畏れ、不可解に思っているだろう。


私は私が不可解である。
初代を名乗ること。
それだけはやらなければならない。
そう思っている。
  1. 2007/09/16(日) 04:07:58|
  2. diario
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死の棘

妻が録り溜めていたNHKドラマ「ハゲタカ」を通して観た。

麿赤児の次男も松田優作の長男も柴田恭兵一世も栗山千明一世も素晴らしい。
ところどころマンガにしてしまう脚本の雑さは感じたが(これは「NHKなのに」ではなく「NHKだけに」なのだろうが)、骨を太くしようとする無謀な策略が、奇跡的に功を奏している。
宇崎竜童、渡辺哲、大杉漣、松重豊、小林正寛、永島暎子、菅原文太に、困ったときの田中泯様、というキャスティングも見事。
それにしても栗山千明の鼻梁から上の造作の完璧さ。
顎がしゃくれ気味でいつも口が半開きでなければ、帰依せざるを得ない美しさである。
顎がしゃくれ気味でいつも口が半開きだからこそ、下腹に疼痛を覚えさせるのだが。


下腹の疼痛といえば、今日日比谷線でおそろしく美しい女を見た。
造作の整然さと、己の骨格と皮膚の色を熟知したメイキャップと前髪と挙措で、俗を纏って俗を超越してみせるハナレワザさえ見せて、ほー、と口をすぼめて見入った。
だが、下腹は疼かない。
彼女の貌や姿態から陰部の形状がまざまざと想像でき、想像を煮詰めて淫しようとしてみたが、興奮できない。
整う、ということは、エロティシズムと対極である。
彼女の長い髪に隠れた耳が奇形であったり、足の指が6本あったりしたとしたら、私は狂うかもしれない。
などと思っていたら、彼女は南千住で下車した。
「顔は○○(原宿・銀座等の地名)、身体は車内」という、人通りの多い場所でワゴン車から女優の顔だけを出させて、社内で玩具で狼藉したりするという、シリーズものの企画AVがあったが、彼女は顔は白金なのに、南千住で下車した。
それをまた敷衍させ物語を紡ごうかとも思ったが、興奮しない。
南千住は熟知しているが、白金はイメージしかないから、かもしれない。
が、それだけではないのだろう。


興奮といえば、私は「興奮」への軽蔑を与件として生きている。
喜びでも怒りでも悦びでも、躁(ハシャ)ぐことを、疎んでいる。
何度も機を逸したのを幸い、人と会わぬよう過ごしている近々の日々に気付いたのだが、この私の性分の根は深い。
恥、を前提として生きている(恥ずかしくなければ気持よくない、気持いいのに恥ずかしくないのは恥知らずだ、という私の考えを、何人かの友人に話してきたが、一度も同意を得ていない)、ということもあるが、それだけでもない。
私もよく人前で躁ぐが、その度に、絶望感にとらわれる。
ま、それでも彼らは友人であるのだから躁いだ私を看過してくれるだろう、と楽観的には決してなれず、ああいう無様を晒してしまった相手とは、一生会いたくない、と自然と思うのが私である。
単純に自意識が過剰なのであろうが、それを省み改めるべき要素を、私は持っていない。
こうした自己分析も、それを改めない為の鎧であり、鎧を脱げば死ぬ、という永井豪「バイオレンスジャック」のキャラクターのように(その設定を知ったとき、私はドッペルゲンガー体験に近い感覚を覚えた)、変わりようが、ないのである。


死ぬ、といえば、先日妻がふと、「怒らないから、本当にしたいことを云ってみて」と寝床で云った。
しばらく考えてから、「音楽も小説も、俺にとっては自殺行為でさ。自殺行為じゃなきゃする意味もないのね。俺は怠け者だから、意味が要るの。だからどっちもやめたんだけど、やめるのと同じ理由で、やるとしてもそれしかないの。自殺。それだけ。いまその手段を選ぶなら、音楽、だと思う」と応えた。
そうしたことを妻に云うのは久しぶりだったので、妻は何やら安心した顔つきで、すぐに深く寝入った。
私も深く眠った。


島尾敏雄「死の棘」を、半分は全く私のことのように、あとの半分は全く他人のことのように読んだ。

  1. 2007/09/07(金) 01:19:56|
  2. libro
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