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ランサローテ

雨の歩道橋で、子供の腕ほどの長さの、蝦の背腸を見た。
震えているようだった。



高架下の紅い街灯に光る、水母の舞うのを見た。
真下からしばらく眺めていた。



鼻が澄んでいる。珍しいことだ。
車窓の霧が追ってきて、遠くに糞の匂いがしていた。



箍を外すことができないままに、記憶だけを喪うことは、悲しいことだ。
だがすぐに、悲しいことでもないと、私は思わせられている。



二度喪うことは、本当に悲しい。



半音に潜むのは、洗練された悪意だろうか、歴史に裏打ちされた皮肉だろうか。
どうあれ、Cooper Temple Clauseしか聴いていない。



私は依存の布団で眠っている。
ウェルベックだけを信じている。

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  1. 2007/04/18(水) 00:51:31|
  2. libro
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桃に蛇

姉の付き添いで行った脳外科は、新宿の高層ビルの4Fにあった。
一人の看護婦に目を奪われる。
あの女に、似ている。
あの女の肉親であると、そのとき私はどうしても思い込もうとしていた。
お姉ちゃんもお母さんも看護婦なの、と、云っていたではないか。
吉祥寺に住んで、新宿で働くことに、何の不自然もない。



溌剌とした挙措、患者への鷹揚ながら柔和な物言い、背中から腰にかけての肉付き、そして、あの眼だ。
名札を見ようと落ち着かない様子の私に姉が気づいた。
軽口で誤魔化そうとする。



「キャシー中島の若い頃に似てるね、あの看護婦さん」
「あはは、似てるわ」
「……好き。かなり」
「あんた昔から、3割ぐらい外人みたいな顔が好きだよね」
「うん」
「で、尻がでかい女」
「そうだったっけ?」
「そうだよ」



原千尋の無修正が出た。
サンプルに、相舐めに移ろうとする体勢の原千尋を、寝そべった男の視点で捉えた画がある。
尻から陰唇にかけての深みが剥き出しになっている。
それはあまりに露骨な光景だが、私が直接にエロティシズムを覚える数少ないヴィジョンのひとつだ。
深みは、より深いほうがいい。
深くあるためには、尻が大きくなければならない。



なぜその看護婦を、あの女の肉親であると信じなければならなかったのか。
いまはもう、あの女を求めていないというのに。
私は川原で、破滅が桃に詰まって流れてくるのを待っていた。
だがあの時に、取り逃がしたことだけは、いまははっきりとわかっている。
私はあの場所に溺れながら、桃が流れていくのを、ただ見ていた。
追いかけようとは、しなかった。
追わずにこのまま流れに身を委ねても、望んだところへ、蛞蝓のような破滅へ流れ着くだろう、とぼんやりと思っていた。
私は桃を下から眺めて、涎をたらしていただけの男なのである。
今日もまだ、じくじくと、動き出せずにいる。
涎があふれている。



独り過ごす時間が増えた。
ストーンして、音と小説に浸かっている。
いなくなってしまったあの男は、もう何に浸かることもできない。
彼の弟さんは、あの男の死に顔に薔薇をくわえさせ、鼻孔に煙草を差し込んで、家族を笑わせていたという。
素晴らしい、送り方だ。
私も、そうやって送ってやりたい。


 


Qよ。
あいつが蛇で、お前が蛙で、俺が蛞蝓だった。
三竦みは、奇蹟みたいなもん、だった、よな?
蛙がいなくなったなら、
俺も蛇になるしかないんだよな。
桃には何も詰まっちゃいないし、
一緒に腐っていくわけにはいかないんだ。

  1. 2007/04/11(水) 01:21:35|
  2. diario
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homo sapiens

垂涎の人妻が斜向かいに越してきたというのに、明日への希望を捏造できないのは、加齢という漸進的なものではない、ゆくりないが核に近い、老いの状態に、いまの私があるからなのだろう。


 


大手PCメーカーでの勤務が唐突に終わりを告げ、派遣社員の皆が別れを惜しんでくれたことに、ほんの少しだが感動を覚えている己を慈しもう、と思った。


 


戦友が冗談のように死んだ。
冷静であろうと制御する己と、その通りに冷静である己のほかに、叫びだしそうなほど慌てふためいて、そのくせ何の言葉も発することのできない己がいた。


 


台湾の社長令息が、妻の妹の家にホームステイしていた。
兄は親に反発し学者の道を選び、弟も親に反発しヒップホッパーの道へ進み、自分は何もまだ決めていないから、親の言うとおりにクアラルンプールに留学し、工学の勉強をしているが、本当はJ・R・R・トールキンのような小説が書きたいんです、という18歳の男の子だった。
慣れない英語でのコミュニケーションは、端的に「生活」を享受していることによって日に日に眼つきの悪くなっていく己にとって、苦でもなければ愉しくもなかった。
彼が日本を離れる日に、初めて英文で手紙を書いた。
ステイフリーとか、テイクイトイージーとか書きながら、私の語彙の狭小さは、そのまま私という人間の底の浅さなのかもしれないと、妙に楽観していた。


 


初めて、妻と夜通し話し合った。
埒は、開かなかった。
開かぬまま時を過ごそうと、私はしている。
その選択に、確信を持てずにいる。


 


今日は次男と留守番をして、マリリン・マンソンのDVDを流しながら大麻を吸い、ビールを飲みながら川海老の空揚げと麻婆春雨と茸の和え物とサーモンの刺身をつくった。
斜向かいの美女は亭主と一緒に庭に何かの種を埋めていた。


 


Cooper Temple Clauseを、繰り返し、繰り返し。
何も、満たしても救ってももらえないのは、私が彼等だからなのだろう。


 


女性器だけ。
女性器だけなんだ。


 


眠らせてくれ。

  1. 2007/04/08(日) 23:39:25|
  2. diario
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この夜、凶なきか。
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