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麻と干し芋

金曜。


特命係長の最終回。
一話の厚み薄みはどうでもいいのだが、揃わぬ小粒であった第三シーズンである。
それでも只野検定では18点をマークした。
南波杏が地上波で喋るのを見られただけでも、最終話に価値はあった。
しかし梅宮辰夫はどうしてあんなに演技ができないのか。
もともと芝居のセンスがないとしか思われない体たらくだ。
このドラマに限ったことかと思っていたが、「拝啓 父上様」でも全く変わらぬ棒読みである。
拝啓~、は、倉本聰のユーモアセンスが好きなら、とてもいいドラマだ。
高島礼子は濃密にメスだし、渡辺 淳一めいた作家役で奥田瑛二が出てるし、何より、二宮和也が慄然とするほど素晴らしい。


 


土曜。


麻を焚いて芋焼酎を飲みながら夢枕獏/岡野玲子の漫画「陰陽師」を読むのが深夜の習慣となっている。
小川酒造の「干し芋焼酎」というものを買ってきた。
麻と干し芋は私の肉体が求めるものを全て充たしてくれる。

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  1. 2007/03/17(土) 23:59:22|
  2. diario
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impaciencia

月曜。


数年ぶりの平日連休。
長男が幼稚園から戻ったら連れて出かけようと思っていたのだが、妻の歯医者の帰りを次男と待っているうちに、発熱する。
嘔吐を堪えながら、のべ20時間ぐらい眠ってしまう。
感情の輪郭をレリーフして2枚のタブをつけ、ヒューマニティをそのままバイナリ化する技術を発明し、それを公表する前段階で内的な稟議をし続ける、という夢をずっと追っていた。
中途放尿をしたり水を呑んだりしたのだが、夢は意識と無意識のRAIDを性格に管理しているらしく、継ぎ目なく継続した。



火曜。


目覚めると夢が尻すぼみになった茫漠の地平に立っていた。
空腹でふらふらとした。
私が眠っている間に次男が、妻の弁によると「マーライオンのように台所で嘔吐」したり、洗ったばかりの白いカーペットの上に「穴の開いたカレー鍋のように」糞をもらしたりしていたらしく、それを尻目に長男が、餡パンマンと食パンマンと黴菌マンとの戦闘には黴ルンルンというワキが必要なのだがそれを象った玩具を有していないことに駄々をこねてもいたそうで、妻が非常に苛立っていた。
その苛立ちがそのまま伝染して、苛立って過ごす。



水曜。


水元ゆうな、というAV女優のことがふと心を占める。
病み上がりの身体のまま、即席焼きうどんを詰め込んで、PC15台の移転作業をする。
不意に姉から電話がある。
冷静に頷く己から、離人できぬことに焦りを覚える。
脳に腫瘍ができたという。



木曜。


同僚のピアニストと、同じく同僚の見事な乳房の女性のことを話す。
同僚の元トラック運転手と、身近にいた梁山泊の残党について話す。
同僚の天才少年と、せむしのセックスについて話す。
鏡を見る。
髪が伸びすぎている。



夕陽を、しばらく見ていない。



酒が足りない。
どうしても足りない。

  1. 2007/03/15(木) 23:58:17|
  2. diario
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六芒星

高校の同級生で、現在品川区の小学校の教諭をしている男と再会する。



高級住宅街に隣接する学区の公立小学校における、父兄との対し方の唖然とする状況を肴に
、随分呑んだ。



品川区は都の中でも別して教育に力を入れている(無論それは本質的に教育が結実していることと同義ではない)区であり、彼が配属された学校はその中でも私立が乱立する中にある、過酷な労働環境の小学校だという。
つまりは私立に入れなかった金持ちの子女が通う学校なのだ。
親達は優越感と劣等感がマーブルになった、非常に接しづらい大人たちなのだという。



一ヶ月に300時間労働している、という彼は、私がこれまでに見知った、同じくらい労働を強いられている水商売の男たちよりも極道の男たちよりもサラリーマンの男たちよりも、清清しい顔をしていた。



濃密かつ繊細な男前な彼は、高校の時分から飛びぬけてもてていたが、それを峻拒するポーズを取り続けていた男だった。
彼は女の子と遊ぶことによる女の子への影響を、畏れるふしがあった。
惚れてしまえば、一生を引き受ける懐の男である。
それゆえ、遊び方を知らなかった。
私にそれを悟られているような気がしていることも、彼は知っていた。
彼も私も、「津軽の男」なのである。



子をどう育てようと思っているか、と、抽象的な質問であることを恥じているような様子で、彼は私に訊いた。



子の成長のスピードに、私の情報処理能力では追いつかない、よってタイミングを見計らって、岐点に助言なり歯止めなり後押しなりをしてやる、そのタイミングの見極めには自信があるし、その見極めこそが、私が唯一子に伝えられる、「私が生きてきて学んだこと」なんだろう、と応えた。



久しぶりに話のわかる男に会った、と、彼は嬉しそうに笑った。



子供達は道を歩む。
頭がコチコチな大人にはともかく、子供に対しては、教師として「外してもいい」、とは云えない。
だが道の広さを教えてやりたい。
中央だろうが端だろうが、歩む道には変わりなく、それよりもそれを踏みしめる足が大事だ、と。



私はコッホ曲線のフラクタルを例えに、彼の形容に全面的に同意した。
コッホ曲線とは、以下のようなものである。
円に内接する正三角形の各辺を三分割し、真ん中の線分を一辺とし基の三角形に外接する正三角形を描く。
すると第一段階ではいわゆる「ダビデの星」「六芒星」となる。
その外側の各三角形で、同じことを繰りかえす。
すると六芒星にどんどん毛が生えていく感じになる。
これを無限に繰り返すことで、線は「無限に」増える(円の外周にも互いの線分にも決して交わることがない)。
つまり円の内部という有限の二次元の内部に、無限な二次元が存在することとなる(円の内部にある図形は、決して円の面積を超えることがないにもかかわらず、無限、なのである)。
次元で括れないもの、それこそがカオスであり、カオスこそ、生き物が自然の一部である証である、と。
次元とは、人が人を定義する、ということに通じる。



会話は尽きることがなかった。
すこぶるいい気分で、帰路についた。



終電車の一本前に乗り込んだのだが、家に近い駅の四駅まえで、寝ぼけたままコートを脱ぎ去り、下車してしまった。
終電車で駅に降り(私のホーム駅は深夜は終着駅である)、コートが届いていないかを尋ねた。
「どういったコートでしょうか」
「右のポケットにはバービーボーイズの『はちあわせのメッカ』が再生途中のiPod、左のポケットには少し血のにじんだティッシュペーパー、内ポケットには五十数頁に栞の挟まれたコンラッドの『闇の奥』が入っています」
「それなら届いております。サインをどうぞ」
という仕儀で、コートを取り戻すことができた。



コートを着て、帰ってきた。

  1. 2007/03/08(木) 02:30:35|
  2. diario
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贋世捨人

3日。


家長と長男の誕生日には尾頭付の鯛の塩焼きを、主役(役、であることを踏まえねばならない)が取り分ける、というのが、私の一族に伝わる仕儀である。
酒は無難を企図してフレシネのコルドンネグロにしたつもりだったのだが、妻はスパークするワインに特別弱く、ほぼ一本一人で私が空けたあとで、ビールでちらし寿司なぞを喰っていたら、特命係長の途中で寝入ってしまっていた。

寝入りにしろ寝覚めにしろ、眠りと覚醒のあわいにたゆたう身体が覚える快感は、口淫をされている感覚と同じである。

セックスの快感は、最低四割ほどは自意識が捏造する快感であり、いくら他者との融合を甘い匂いの裡に求めようとも、私にとってはどこまでも、不自然なもので、それゆえに「私」という個人にクローズされては困る、何やらおそろしく、それゆえ絶対的であらねばならぬものである。

口淫の快感にも自意識の立ち入る余地は充分にあるのだが、舞踏やダンスという、これまで私が避けてきた身体表現に通じる、顕かにこの体躯を基点とすることが受容されているような感覚を思え、それが眠りにまつわる快楽と通じるのだ。

よって私はフェラチオをされながら眠ってしまったことが再三再四あるが、それはそれをしてくれる女性を快楽の道具として軽んじているわけでも、特に身体が眠りを欲していたわけでも無論なく、寝入る感覚にあまりに酷似しているため、条件反射で脳髄が沈黙してしまったのである。


不意に眠りを妨げれるのでない限りは、覚醒時にも同様に、口淫の快楽を覚えて、勃起する。
その朝、ガサガサとしながら妙に質感のある違和を、その部分に覚えた。
見ると、サランラップが陰茎をぴっちりラッピングしている。
どういう経緯でそうなったのかわからぬまま、大手不動産の販促業務のヘルプへ出掛ける。

民芸品のような顔立ちの、金髪でファッションパンクな(あなたはファッションパンクですね、という私の形容は、私のような外道がコミュニケイションを図っていくうえで、欠くことができなくなっている)女の子と二人で、十数人の派遣を管理し、40件ほどの契約をまとめた。
北欧のパンクが好きだというその子と共通する話題は、ミチロウとハイロウズだけだったが、愉快に過ごした。

深夜に車谷長吉「贋世捨人」。
嘉一、という主人公の名が、私の名と同音であることを、久しぶりに車谷を読んだせいか、まずおそろしく感じた。
(車谷長吉にとって生島嘉一とは、ヘミングウェイのニック・ビレーン、ブコウスキーのヘンリー・チナスキー、セリーヌのルイ・フェルディナン・バルダミュ、私が創作していた時分の、「槌谷傾人(ツチヤカブト)である)

距離感が絶妙だ。
私と女の距離、私と時代の距離、私と文学の距離、私と私との距離、それらが、決してよがらず縋らず、あらかじめ構築された、あるいはあらかじめ「予感」されたバランスで、一息に綴られている。

私はこの人のように「プロ作家」になりたかったのだなあ、と思い出すことは中途でよして、酒を呑んだ。


 


4日。


長男と図書館へ。
Mando Diaoの1stと世良公則 & ツイストのベスト盤を借りる。
饐えた匂いが漠然と薄まった空間の絵本のコーナーで、何冊かウィスパーで音読してやる。
有り金をはたいてアイスクリームをたくさん買って、アサヒビールの巨大な工場に沿って自転車を走らせた。
帰宅した長男は水疱瘡の前から軽く患っていた感冒のせいか、嘔吐して、深く眠った。

私が好きな女の顔をしている次男を抱いて、昼からコロナビールを呑んでいた私も眠った。

H.ART CHAOS、大島早紀子、白河直子、というキイワードが、頭から離れない。
私はおそらく、百鬼丸だ。
ダンスを体感することによって、私の身体を、取り戻さなければならない。

  1. 2007/03/04(日) 23:25:51|
  2. libro
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Autofiction

火曜。


大手PCメーカーのサポートデスクの管理業務で、派遣で来ている20歳の天才と話す。
メモ帳だけでJAVAを書くことができ、服装が二流ホストで、自宅にVPN環境を構築でき、平成生まれの恋人がいて、学校を出ていないのに変数や関数の概念をフィジカルに知っていて、年内に起業予定の、セルシオに乗った男だ。


平成10年に平成生まれの女の子とセックスした知人の話や、裁判の判決まで大法螺を吹き通して執行猶予中の再犯なのに懲役三年で済んだ親友の話をしてやると、無邪気に笑っていた。
エレガント、という馬鹿馬鹿しく美しいスタンスだけはこいつに勝っているな、と思ったりする己を、己に対する、いや、何にも対さないアリバイ、のように思って、甘苦く笑っていた。


家に帰り、妻と自然に笑い合う。
喧嘩をした次の日には、決まってエホバの証人の信者が訪ねてくるという。
「イエスさま、あ、いけません、ごめんなさい! って云いながらエッチするような女の子なの」と云っていた。
その子が置いていった冊子をめくりながら眠った。


 


水曜。


休日。
次男を連れて、本籍地である東京都北区の役所に、戸籍の謄本と附票を取りにいく。
車中で隣り合わせた、毛皮にプラダのバッグのマダムに、次男の頭を撫でさせながら、快速は南千住と新御徒町には止まらなくてもいいわよねえ、という彼女の話に、相槌を打っていた。
秋葉原ヨドバシカメラで、ロールパンナちゃんとメロンパンナちゃんの人形を姉妹セットで買ってやる。
どちらかひとつは兄貴にあげろ、父さんはロールパンナちゃんの方が好きだな、陰があって、と云うと、どちらも兄ちゃんにやる、という内容の身振りをする。
頭を撫でてやると、フケがたくさん出た。


深夜に韓国映画「グエムル」を観る。
冒頭20分は出色の出来。
あとは突っ込みどころが多すぎて、とりわけ云うこともない。
脚本にスジを通すためには、あと5億ウォンぐらい使ってソウル市内を焼き尽くしてしまわなきゃならなかったのに、と思いながら、それに何の憤りも覚えないのは、アメリカをコケにするやり方に、ユーモアがあったからだ。


 


木曜。


予備校の広告で見た、「円周率が3.05より大きいことを証明せよ」という東大の入試問題について考えて暮らす。
円に内接する正多角形の外周が円周より短いことを利用する、ということには気づいたが、余弦定理どころか、三平方の定理すらすっかり忘れている。
3年ほど前のIQテストでは東大生の平均より上だったのに、と浮かんでくる己のみじめさを、受け入れるのをよすことは、何とかできそうな気もしてくる。


金原ひとみ「オートフィクション」を読了。

ニーズのある小説を、プロフェッショナルの力量で書ききっている。
このまま10年でも20年でも書き続けてほしいと思う。
男は彼女の小説を読むべきで、女は西村賢太の小説を読むべきだ。
本当のこと(当然どちらも、決して『私小説』なんかじゃないのは明らかだ。事実かどうか、など、小説を創るうえで、取るに足らないということを、評論家でさえ忘れている)が書かれている本は、数少ないのだから。


彼女の凄さは、クラッチの切れ味である。
ハンドル捌き、ブレーキのタイミングは、乱暴な例えだが椎名林檎の方が隔絶した腕を持っている。
どちらも、アクセルを踏み切っているようで、いや、実際に踏み切りながらも、制御するデバイスが確立している。
彼女は彼女の女性器との会話において、「情」というカオスを表現しきっている。
私は私の男性器との対話を、文字通り茶を濁すことで、等閑にしている。


21歳のときに、15歳のあなたとセックスしたかったよ。


 


明日で30歳になる。




  1. 2007/03/01(木) 23:59:58|
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