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アンテナ

土曜。


子等と昼に留守番。
昼に留守番をすると飲み過ぎてしまう。
川の字で眠る。


23:30からBS2で筋肉少女帯の復活ライブ。
なんて橘高さんは美しいんだろう。
おいちゃん顔が大きくなったなあ。
大槻さんは、もてるんだろうなあ。
そうか、アンテナ売りか。
アンテナ売りだ。
と飲みながら夜を明かす。


 


日曜。


子の遊戯会へ。
長男はステージで超然とぼーっとしていた。
眼を細めていたら、たまらなく眠くなって、眠った。


目覚めてから、バイキングレストランへ。
飯の合間に立って歩くことに、苛立ちが昂ぶりすぎて、しん、としてしまった。


 


月曜。


車検やら何やらで4月から5月にかけて30万ほど必要なことがわかり、何のあてもないことに、単純にノンシャランな己である。
ああやっとツケが回ってきた、と思いながら、どうあれどうにかなるような気がして、対策を講じるべく動き出す気概がない。
それが妻に理解されないことがすこし寂しいが、辛い思いをさせていることをどうにかしなきゃな、と思いながらも、そもそも俺には妻を労わったり思い遣ったりすることが、初めからできないし、これからもできないんじゃないか、きっとそうなんだろうな、と、9年前と同じことをしようとしていることに、ねむけ、に近い感覚でいる。


 


例えば私は、首都圏で移動手段に電車を用いる人、のことを、惨めだと思っている。
そのくせ己自身は満員電車に毎朝何時間も揺られているのだが、それは己のこうした睥睨意識に対する罰だと、耐えている。
私は罰に対してマゾヒスティックであり、何でも「罰」で片付けて償却した気になるのが得意で、罪、というものが、一体どういうことなのか、全くわからない。
それが原罪だと云われたら、膝を打って納得するだろうが、一晩眠れば忘れるだろう。


 


与えなければ得られないのなら、何もいらない。
愛されるのが鬱陶しいのは、愛したことがないからなのだろうが、考えるのも面倒だ。
人に興味がないから、何もかも馬鹿馬鹿しい。


それが俺か。


眠い。
ものすごく眠い。

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  1. 2007/02/27(火) 00:46:29|
  2. diario
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ムルロアの収納/暗渠

妻の誕生日に、ハンガリー製のグラスとヒステリックグラマーのジーンズを贈った。
自ら包装し、北千住ハルエグレースのケーキを添えた。
突出して旨いケーキ屋を知っていることを恥ずかしく思った。
深更、子らを寝かしつけたまま寝入った妻の代わりに、皿を洗う。
洗い終え一息ついて、給湯器のスイッチに手を伸ばしたら、俎板に触れ、倒れた。
俎板の真ん前に、贈ったグラスがあった。
グラスはゆっくりと倒れた。
淵に罅が入った。


そこから数日私は脱力したが、それは妻への申し訳なさとも、己への不甲斐なさへの慙愧とも違う、ゆくりなく膝が笑うような、実存の覚束なさににやにやする類の脱力だった。


 


西村賢太「暗渠の宿」を読了。


ああまだいたんだな、「文士」が、と揶揄をこめて冷笑できたのははじめのうちで、買淫の裡に「普通の恋人」を探しあぐねる経緯に、身につまされる息苦しさを覚え、大正の文士に帰依し、新宿に拘泥する日々の描写に、耳朶の裏に汗をかき、女に暴力をふるう視点のゆるぎなさに、私が決して書けなかった「私」を暴かれた思いで、歯の根が揺れ、耐え難く不快で、堪らない、快感を覚えた。


作者がその人生以上のもの(というものを設定していることをそのまま受け止めなければ、この作家は理解できない)を捧げている藤澤清造という作家を、私は読んだことがない。
だが同時代の葛西善蔵と嘉村磯多には20歳前後に足許を揺るがされた経験があるので、鴎外からも漱石からも太宰からも三島からも得られぬ苛烈な読書体験を作者が得たことは、朧ながら想像がつく。


芸術そのものにではなく、芸術にゴーストを賭すことに憑かれた男にとって、女はどういった役割を果たすか、ということが、これまで誰もが避けていたやり方で晒されているのが、この小説である。
数年前の芥川賞受賞作、吉村萬壱「ハリガネムシ」は、「露悪」から一歩も出ていない、何にも賭していない作品だった。
(その作品の良し悪しをめぐって早稲田の哲学科の大学院生とネット上で論争をして、私の無学さと「ルサンチマン」を徹底して指摘する彼に、何やら愛情めいたものを覚えながら、逃げたことがある)
車谷長吉の諸作は、露悪を衒いながら決して露悪になりえない、民芸品のような艶がある。
西村賢太は、善悪の彼岸にいる。
大正の貧乏文士オタクでありながら、現代の「文学青年」と対極に位置しているところが、特異なのである。


だが、彼は、もっとも恥ずべきことを、書いていない。
それを見抜く眼を、私は私の師から得た。



文学に価値があるとすれば、それは「身につまされずに済む」からだ。
同じ意味で、己も騙されるほどの身につまされる演技を、誘われるからだ。


読書とは、他人にものを考えてもらう行為である、というショーペンハウアーの箴言は、普遍である。
私はなんとか、「身につまされずに」済んだ。
私も善悪の彼岸にいる。


ただ、やりたいことがある、ことが、羨ましい。
私には、ほんとうに初めから、何もやりたいことがなかったのだ。


 


町田康「脳内シャッフル革命」所収の「ムルロアの収納」という曲を繰り返し聴いている。

養生したサッシの向こう側でポーズ
窓の中にエアコン室外機
核戦争に備えてポーズをとってブルースを歌え
ファンタジーがいつでも心に乱暴するんだ
ポエジーがいつでも心に進出するんだ
暴力で輝いてた僕ら
核戦争に備えてローンを組んで君が代を歌え


 


札幌すすきの出身のAV女優に精液を飲ませたことがある。
その女性の最新作のプレビューで自慰をした。

  1. 2007/02/22(木) 23:59:55|
  2. libro
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幻の女

花瓶を買ったとする。
赤い花が映えそうな花瓶である。
近くの花屋に出向いて、赤い花を所望する。
ご予算は、と花屋の店子が訊く。
そこで「青天井」と低い声で応える男と、小滝橋通り沿いの居酒屋で呑んでいた。


未失の故意について、王国とシナリオについて、幻の女について、幻の女を愛せない男には暴力をふるうべきかについて、馬刺を喰いながら話した。


「馬刺が好きでな」
「うん」
「初めて会ったやつに『僕、馬刺好きなんです』いうてな」
「ん」
「それで実は俺が馬主だったらおもろないか? 馬刺用の馬。だから俺は馬主になりたい」


女の子と豊洲の映画館に行く以外には新宿を一歩も出ないその男と、20年付き合っていることを、初めてごく自然なことに思えた夜だった。


 


帰宅し、AmazonでBuck-Tickの「極東I love you」を買った。
明けて、妻と子供達と雑炊を食べ、図書館へ行った。



西村賢太「暗渠の宿」
金原ひとみ「オートフィクション」
車谷長吉「贋世捨人」

小島麻由美セクステット「Songs For Gentlemen」
Fela Anikulapo Kuti & Egypt 80「Underground System」

を借りてきた。


 


私はまだまだ眩暈を追うし、
幻の女を愛する。


 

  1. 2007/02/18(日) 23:29:40|
  2. libro
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moratorium

長男が水疱瘡で、次男が水疱瘡モラトリアムである。


WindowsVistaのサポートセンターでヘルプの管理職に就いている。


モーターボートに眼を奪われる。


鳥肌実の『タナカヒロシのすべて』を観た。
とても美しい映画だ。


特命係長で佐藤寛子に見蕩れた。


藤田敏八監督の『八月の濡れた砂』を観た。
テレサ野田に涎が出た。


BUCK-TICKのライブアルバム『ONE LIFE,ONE DEATH CUT UP』を繰り返し聴いている。
今まで聴いてきた全ての音楽よりも、素晴らしく感じた。


義父の墓参りで、喪服で煙草を吸う女の黒いストッキングを眺めていると、喪服で煙草吸う女が好きでしょ、と妻に云われた。


車で東京タワーに出かけ、写真をたくさん撮った。


毎日風呂でシャボン玉を吹く。


生肉が喰いたい。


明日は生肉が好きな男と歌舞伎町で会う。

  1. 2007/02/16(金) 23:59:34|
  2. diario
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Eddie the Head

青森県弘前市に私は生まれたが、故郷、という思いがいつしか失せている。


流浪だとか放蕩だとかに憧憬を抱いていた頃は、反発をしていただけ生まれた地への思い入れがあったが、20代の前半にはすでに、依拠するものがなくなっていた。


生家があり、親がいる。それはかえって厳粛に受け止めるようになった。
具体的に、というだけかもしれないが、どうあれ否定もしていなければ、軽んじてもいない。
ただ、ストレンジャーの眼でそれを見ている。
根無しである、という事実だけが私を構成している。
私はきっと、観念の中にだけ生きている。



しかしながら、音に根を覚えることが、まれにある。
ポール・ディアノがいた頃のアイアンメイデンの音だ。


高校の時分に2ndアルバムの「KIllers」を貸してくれたイガラシという男は、防大を出てからどうしただろう。
自衛隊や警察のキャリアや官僚になるには惜しい、フラジャイルな雰囲気のある男だった。


スティーヴ・ハリスの指遣いは、自己否定を演じながらどこかで圧倒的な肯定を得たかった私を、圧倒的に肯定した。
模倣をすることを快楽だと感じたのは、後にも先にもスティーヴ・ハリスに対してだけである。


グルービーなもの、トランシーなもの、表面的に(本質はどうあれ)メリーなもの、ラブというグローバリズムを掲げたものに、いまだに反射的に反発してしまうのも、根にアイアンメイデンがあるせいだ。
わかりやすくいえば、当時流行っていたフィッシュマンズやフリッパーズギターに鳥肌が立つほどの嫌悪感を覚えたのも、いわゆるパンクの影響ではなく、ヘヴィメタルの「様式」に安らぎを覚えていたからなのだ。


指の太い小さな手が、ペンタトニックの長いユニゾンを弾く。
アタック音の周波数が、脳髄に刻まれる。


この疲労だ。
この疲労だけが、賭けるに値するものだ。

  1. 2007/02/07(水) 23:38:19|
  2. musica
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spider addict

単純な計算の反復ほど、麻薬性のあるものはない。


脳を鍛える云々のゲームが売れるのは、人々が己の頭の硬直におそれを持っているから、という理由が少なくとも外れてはいないだろうが、それらが「流行る」のは、麻薬だからであると私は思っている。


ランナーズハイやクライマーズハイなどの、いわゆる脳内麻薬とは、少し違う。
脳内麻薬は反復する苦痛から精神を守るために脳が分泌する。
単調な計算やパズルは、精神に損壊を与えるおそれなどない。
端的に、「退屈」そのものである。
だからこそ、やめられなくなる。
人間はそもそも怠惰だ、ということでもない。
パズルを解き続ける無意味さ、無価値さが、あらゆる中毒者が根底において欲する「自失」へと繋がるからだ。


パズルゲームの類に対して、私は多分に中毒者の素養を有している。
クロスワードも、ナンバークロスも、ピクロスも、ナンバープレイスも、ロジッククイズなどにしても、一度始めると寝食を忘れ(とはいえ酒は飲むのだが)憔悴しきるまで続ける。
自失の快感に、滅法弱いのである。
のめりこむほどに、私が私である必要性が希薄になっていく。
問題を解くための機械に成り果てた、と錯覚できる瞬間こそ法悦である。
解けた快感など、それに比べれば取るに足らない。


今年になってから、その性分が顕著になってきた。
携帯に標準搭載のぷよぷよとコラムスを、昼夜やり続けてそれぞれ全ステージをクリアした。
その後はWindowsに標準搭載のスパイダソリティアを、気がつけば昼も夜もやっている。
いったん止めることはできるが、知らず再開してしまっている。
朝から酒を飲みながら、なぜ酒を飲んでいるかを考えているような状態である。


私の女性への依存性も、これと同根なのではないか、という思いが、このところ私の頭の中を占めている。


自失を求めてのめりこむ。
のめりこむこと自体に中毒する。
いつしか自失の快感に、相手の顔さえよくわからなくなる。
そのくせ避けられるといつまでも、忘れられない。


おそろしいことだ。
みじめなことだ。
深く考えなければならないことだ。
そう思いながら、スパイダソリティアを続けている。
どうしても勝率が一割に届かない。

  1. 2007/02/06(火) 23:37:10|
  2. computadora
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GHOST

風邪⇒喘息⇒プチ肺炎⇒快癒⇒インフルエンザ、という有限ループ。


無気力、というものはきっと何かの所為である、というくらいの分別が図らずも出来てしまっている30絡みの男であるので、無気力は無気力のまま満喫する。


中島らもに、今更ながら心酔。
20代前半に出会っていれば(実のところ毛嫌いしていたのである。アル中がアル中の文章を読むのは、みじめな自己弁護のように思えて。そのくせブコウスキーにだけは救いを求めていた)、もう少しいろんなところが柔らかくなっただろうに、と思いつつ。
真摯、とは、こういうことをいうのだろう。
この人は、最後まで「本物」で、7割ぐらい同じ意味で、「プロフェッショナル」だった。


778ちゃんから貰った、攻殻機動隊SACの総集編と新作長編(『笑い男』『個別の11人』『Solid State Society』)を続けて観た。


総集編であるがゆえ、「キャラクター造形」に不足を感じることはあった。特に『個別の11人』のクゼに関しては、いくら長い尺を割いても充分には伝わらない。それはおそらくこのキャラクターこそ神山監督が描きたかった、士郎・押井双方への回答であろうからだ。


だがドラマ性において、傑出している。
理解するには広範な知識の前提やそれを補遺する想像力を要する、という意味においては、押井版よりも原作に忠実だといえるかもしれない。
草薙素子が、よりソリッドに描かれている。
『人形使い』と融合しなかったとしたら、というパラレルワールドの物語、というのはおそらく士郎・押井・神山の比較に必要な詭弁であって、料理人が誰であれ『素子』というデバイスは、普遍である。
その認識が、スピード感を加速させている。
更に、押井版でもそうだったが、『唯一の生身』であるトグサを掘り下げることにより、ドラマを我々と繋駕することも忘れていない。
そもそもトグサは生身であるがゆえに素子が9課に招聘したのだった。
人形使いが進化の果てに必然的に横たわる破滅を避けるために素子と融合した、ということとも同義である。


士郎正宗は、オリジナルの創作者であり、創造主である。
これは押井や神山のような、特異な才能であろうと、覆すことができない。
それを与件として、作家は創り始める。
あらゆるクリエイションの、根源的な姿勢だ。


 


押井は問う。
ゴーストとは何か、と。
情報の宇宙から、生命体が発生する。
それは人間が人間であることをやめないために定義したゴースト=霊=魂に、そぐわない要素を有している。
では何をもって人は人たりうるのか。
中性子やミーム(模倣子)の存在まで知ってしまった人類が、己が情報の集合というだけではないことを、いかに証明できるか。
ひも理論による統一原理(アインシュタインが成し得なかったもの)は、実験・反証することが、現状は不可能だ。
カオス理論・フラクタルでは、結局はその答えにならない。
だから問い続ける。
俺は生き物なのか、と。
文学や哲学から滲んできたドラマに、底はない。
素子は、フィジカルである。


 


神山は問う。
個はどうして個なのか、と。
ゴーストは存在する。それが数値化が可能であろうと、人間という生き物は存在する。AIがそれに限りなく近づくこともありうる(全作に共通して、タチコマが我々を泣かせる)。
では人間は、何を根拠に「個人である」ことを証明できるか。
脳がネットに直結することで、享受する情報が並列化し、人格とか個性とかいう言い逃れをしてきたものが、ミームに結晶化される。
それがスタンドアロンコンプレックスである。
笑い男=アオイがその現象を招いた。
天性の英雄=ハブ電脳=クゼが、300万人のゴーストをネットに放つことでその具現化=復讐を目指したが、敗れた。
草薙素子が遺したネット上の痕跡が、ソリッドステイトを構築した。
だがそこにおいて、情報化、というフィロソフィは、帰結点を得たのかもしれない。
この先もドラマは再帰を繰り返して、増幅していく。
素子は、アブストラクトである。



己を放逐しそうになっているときに、この上ない栄養剤だった。
いろんな植物も、助けてくれた。
私は鬱病になることを許されていない。

  1. 2007/02/05(月) 00:27:21|
  2. cine
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logo

azul sangrientoロゴの作り方。


① Photoshopでロゴを作成。参考:fmod
② 明度を小刻みに変えた画像を複数枚と、グレイスケールの明暗異なる画像も複数枚用意。
③ フリーソフトのGIAMで編集。
④ ブログにアップロードし、画像のアドレスを確認したらHTMLを修正(FC2ならHEADの部分だけ)。



切れかけたネオン。
消える前の一瞬の輝き。
無限ループによるトランス性。
総じて、青さ。


そういったものをイメージしたが、やはりアマチュア。
センスの所為にすることこそアマチュアか。

  1. 2007/02/03(土) 23:27:25|
  2. computadora
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soy


Aqui esta:
アスルサングリエント

Me llamo:
慈姑(クワイ)

A mi mismo:
この夜、凶なきか。
日の暮れに鳥の叫ぶ、数声殷きあり。
深更に魘さるるか。
あやふきことあるか。

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