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SM≠DS

ロックシティ、という噴飯なネーミングのショッピングセンターが近所にオープンしたので(実際はROCKではなくLOCなのだそうだが)、ストレイキャッツの「ロックタウンは恋の街」を口ずさみながら歩く。
「Make 'em scream and shout」という部分が「結構好きなんちゃう?」としか聞こえないので、聞こえるまま鼻歌を唄う。


俺Sだからさ、あたしドMなんです、という会話を耳にするたびに違和感を覚えるが、否定する気持にはならない。
「結構好きなんちゃう?」「バカ……」という会話が成り立つSとMの関係ほど、建設的でハピーなものはあるまい。
アインシュトゥルツェンデしないノイバウテンである。
恋の街である。


SもMも思い切り乱暴に云えばフェティシュなのであって、窃視と露出がそうであるように、どうしても同根であり、フェティシュの語源は護符崇拝、すなわち帰依すべきものの代用品に対してそれ以上の崇拝をしてしまう、ということであるので、個人が個人へ埋没してしまわない効用も、関係を潤滑にする効用も現代では認められているし、それを標榜することも全く市民権を得ているのだから、大いにSと云いつつふと柔和なところを見せてみたり、Mと云いながらしなを作ってみればいいのだ。


が、私はSだMだという前に、至極単細胞に(単細胞生物が膜を破って融け合うヴィジョンを長く理想としているが)、淫乱、それだけであるので、どちらかの擬態を見せることはあっても、己をどちらかに規定することができない。
自分をどちらかだと己の裡でしてしまえば、行動や思惟が限定されるので、自律にもなるし、余裕にもなる。
私はそもそも自律にも余裕にも、あまり興味がない。


かといって、加虐と被虐という嗜好自体が浅薄だ、などというつもりはない。
サディズムとマゾヒズムとにカテゴライズすることに、違和感を覚えるのだ。
サド侯爵とマゾッホ男爵の講釈をしても仕方がないが、マルキはサディストではないし、ザッハーもマゾヒストではない。
加被虐を「嗜虐」と括ればいいというわけでもない。


藤沢周という作家のデビュー作に、「DS」という短編小説が併録されている。
ドミネーション・サブミションの略だ。
支配と、服従。
これこそ、SMよりもよほど具体的に、我々を性の奈落へ近づけてくれる二極なのである。 


加虐というチリチリと焦げるような快感は、支配という透徹した=戻りようがない高みへと結晶させる。
被虐というぬるぬると溶けるような快感は、服従という原初の=戻りようがない地平へと浸透させる。
こうしてはじめて男女は、人と人とは「関わる」ことができるのではないか、と、
こんなことを考えているからいつでも私は、喉が渇いている。

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  1. 2007/06/28(木) 01:32:17|
  2. sexo
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:5

数日鼻腔が詰まっていると、当然のことながら頭が茫としてくる。
性欲、というより射精欲というものは、鼻から抜けて昇華するらしい。
繰り返しても、膜の中にいるような気分だ。


娼婦への異常な欲情の根幹には、女性蔑視の所与があることに疑う余地はない。
そうであるからといって、ではどうすればそこから逃れられるのか、逃れずにどうしてもう少し健やかでいられよう、と、そんなことばかり、今日も考えて過ごす。


久しぶりにブラウン管越しに小島聖の貌を見た。
おそろしい欲が間歇した。
米倉云々レヴェルの女に殺されてしまって、がっかりした。


喘息の発作で軽い酸欠状態も続いている。
射精のあとの感覚が癒えずに残っている感じだ。


そういえば私は射精をしない男であった。
初めてのときから避妊を知らなかったが、どうしても射精できなかった。
初めて射精したのはそれから3年か4年を経てからである。
避妊を知ったのはそれから12年ほど経てからである。


射精をしないことが、私のニュートラルなのではないか、と、鼻づまりの頭に鈍く閃く。
もっぱら射精をするようになってから、私の精神は腐敗した、あるいは腐敗を認めざるを得なくなったのではないか、と。


小島聖を相手に、射精を堪えるさまを思い描く。


これだ。


 

  1. 2007/01/19(金) 23:08:17|
  2. sexo
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0







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